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鹿児島地方裁判所 昭和42年(ワ)3号 判決

原告

竹井喜美里

被告

南島開発株式会社

主文

被告は原告に対し金二二二万八、五六五円三三銭及びこれに対する昭和四二年一月一五日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分しその一を被告の負担、その余を原告の負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の申立

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金四四〇万四、四九三円及びこれに対する昭和四二年一月一五日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、主張

(請求の原因)

原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。

一、本件事故の発生

被告会社の従業員田畑上福は、昭和三九年一月二四日午後二時頃、被告会社所有の大型貨物自動車(鹿一り五〇―一四号)を運転して、鹿児島県大島郡与論町古里の船蔵線町道(通称船蔵農道)にさしかかつたが、その際右自動車の運行方向左側の道路端に立ち、農作業の指示をしていた原告に自動車の先頭左側部を衝突させて、約一米下の畑に転倒させ、左肩及び右下腿部打撲傷、脳震盪、頭部外傷等の傷害を負わせた。

二、被告の責任

右事故は被告が自己のため運行の用に供している前記自動車の運行によつて生じたものであるから、被告はこれによつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

三、損害額

本件事故により、原告は次のとおりの損害を蒙つた。

(い) 治療費用 金一七万三、一三二円

原告は前記傷害及びこれより生じた左半頭部しびれ感、頭重感、耳鳴り、難聴、左後頭部、左項部、左背部疼痛等の後遺症の治療のため、別表治療費用明細記載のとおりの費用合計金一七万三、一三二円を要した。

(ろ) 得べかりし利益の喪夫 金二二三万一、三六一円

(a) 原告は本件事故前甘蔗栽培、養牛豚業を営むかたわら、奄美大島復興事業の日雇として働き、月平均金四万円の収入を得ていたが、右事故のため昭和三九年一月二四日から翌四〇年六月末までは全く労働ができず、結局その間の収入金六八万円の得べかりし利益を失つた。

(b) 原告は昭和四〇年七月以降は一応労働に従事するようになつたものの、前記後遺症のため通常の三割以下の労働能力しかなく、このため昭和四〇年七月一日以降翌四一年一二月末日までの収入中金五〇万四、〇〇〇円の得べかりし利益を失つた。

(c) 原告は大正三年三月一〇日生れの満五二才の男子であり、厚生省大臣官房統計調査部編昭和三九年度簡易生命表によると、満五二才の男子の余命は二一・五九年であるから、原告はあと二〇年間は生存可能であると期待できる。そうしてそのうち少くとも昭和四六年末までの五年間は就労可能であると考えられるが、前記後遺症のためその期間の労働力は平均二分の一に減損すると想定されるので、昭和四二年一月一日以降同四六年一二月末日までは、通常獲得すべき収入額の五割を下らない額の収入減となる。従つて右収入減少額金一二〇万円から民法所定年五分の割合による中間利息をホフマン式計算法により控除して、昭和四一年一二月末日における右得べかりし利益の現価を求めると金一〇四万七、三六一円となる。

(は) 慰藉料 金二〇〇万円

原告は前記傷害及び後遺症のため労働も満足にできず、日常生活においてもあらゆる不便、苦痛を味わつて来た。しかるに被告会社及び運転者であつた田畑上福は、原告の数回にわたる請求にも拘らず、これに全く耳をかさず、わずか焼酎二本を見舞に持参したのみであるので、原告は已むなく畑を売却したり借金をしたり等して、漸く今日まで生活して来た。また今後後遺症の治癒する見込もないところから、一家の支柱としての原告の精神的苦痛は、はかりしれないものがある。以上のとおり原告が本件事故によつて蒙つた肉体的精神的苦痛は甚大であるので、これに対する慰藉料は金二〇〇万円を以て相当とする。

四、よつて原告は被告に対し、前記治療費用金一七万三、一三二円、得べかりし利益金二二三万一、三六一円及び慰藉料金二〇〇万円、合計金四四〇万四、四九三円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四二年一月一五日以降支払済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求の原因に対する答弁)

被告訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。

一、原告主張一の事実のうち、被告会社の従業員(日傭雑役人夫)田畑上福が原告主張の日時場所において、被告所有にかかる原告主張の貨物自動車を運転し、その際右自動車の進行方向左側の道路に佇立していた原告が自動車の車体に接触して、道路脇の約三〇糎下の畑地に転倒し、治療二週間程度の傷害を負つた事実は認めるが、その余の事実は否認する。原告は後記井戸掘作業における受傷のため、当然避けることのできた危害を避けることができなかつたのである。

二、同二の事実は否認する。

三、同三の事実もすべて争う。なお原告は昭和一六年頃井戸掘作業中事故により重傷を負い、それ以来完全な健康体に復していなかつたのであり、右受傷による障害が残つていた。そのため右障害が原告の現在の身体障害にも影響を与えているのであつて、原告はその治療のため余分な費用の支出を余儀なくされており、右は損害額算定の際の事情として考慮さるべきである。

(抗弁)

被告訴訟代理人は、抗弁として次のとおり述べた。

一、本件事故は原告の過失により発生したものである。すなわち本件事故現場である前記船蔵農道は、幅員三米六〇糎の狭隘な道路であつて、大型貨物自動車は道路の中央を運転するほかない。そのため道路中央に二条の車輛の轍跡を生じ、右農道を走行する自動車は右轍跡の上を運転走行している。従つて走行者は自ら注意して自動車を避けなければならない状況にある。ところで本件事故発生当日被告所有の加害自動車は、運転手野田和義がこれを運転し、助手沖實蔵が助手席に坐り、人夫である田畑上福は荷台に乗車して、甘蔗集荷の目的で右農道を運転していた。ところがたまたま与論町農業協同組合所有の貨物自動車が運転不能となり、救援を求めて来たので、運転手野田は前記加害自動車を停車させて下車し、その救援に赴いた。その際に田畑上福が運転席に入り、約一〇米右加害自動車を運転緩行させた際本件事故が発生したのである。原告は助手席にあつた沖實蔵に対し自己生産の甘蔗の集荷について交渉した程であつて、加害自動車の運行を十分に知悉していたにも拘らず、これを避けるための注意を怠つたため、本件事故が発生したのである。なお田畑は自動車運転免許を有していなかつたが、当時免許試験の受験準備中であつて、自動車運転についての知識と技能を有しており、本件事故の発生は同人の運転上の過失によるものではない。また加害自動車には構造上の欠陥又は機能の障害もなかつた。

二、仮りに被告に本件事故により原告の蒙つた損害を賠償すべき義務があるとしても、本件事故発生につき原告にも過失があつたこと前記のとおりであるので、賠償額の算定につきこれを斟酌すべきである。

(抗弁に対する答弁)

原告訴訟代理人は、抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。

一、抗弁一の事実のうち、本件事故現場である船蔵農道の幅員が三米六〇糎であること、田畑が本件事故当時運転免許を有しなかつたことは認めるが、加害自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことは不知、その余の事実はすべて否認する。

二、同二事実も否認する。

第三、立証 〔略〕

理由

一、本件事故の発生

請求原因一の事実のうち、被告会社の従業員田畑上福が原告主張の日時場所において、原告主張の貨物自動車を運転し、その際右自動車の進行方向に向かつて左側の道路に佇立していた原告が、自動車の車体に接触して、道路脇の畑地に転倒し受傷したこと、及び右加害自動車が原告の所有であつたことは、いずれも当事者間に争がない。被告はこの点に関し、原告は以前井戸掘作業中に受傷し、そのため本件事故に際しても当然避けることのできた危害を避けることができなかつたものである旨主張し、加害自動車の運行と事故の発生との間の因果関係を否定するかのようであるけれども、本件事故が加害自動車の運行によつて生じたものと認められることは後記認定のとおりであつて、被告の右主張は採用できない。

二、被告の責任

右認定の事実によれば、被告は加害自動車の運行供用者と解せられるから、本件事故によつて原告の蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

三、免責の抗弁に対する判断

そこで次に被告主張の免責の抗弁について判断する。被告は本件事故は原告の過失により発生したものである旨主張する。しかしながらそのような事実を認めるに足りる証拠は存在せず、却つて〔証拠略〕を総合すれば、本件事故発生に至つた経過は次のとおりであつたことを認めることができる。すなわち昭和三九年一月二四日午後被告会社の従業員である運転手野田和義は、本件事故現場付近でスリツプした自動車の救援作業に従事するため、被告会社の常傭人夫であつた田畑上福と与論町農業協同組合の那間地区甘蔗集荷責任者であつた沖實蔵を同乗させて、加害自動車を本件事故現場付近まで運転して来た。そうしてスリツプした自動車の救援作業に従事している間、加害自動車を船蔵農道の事故現場東側カーブ付近に停車させていた。ところが野田運転手がキーをつけたまま加害自動車を離れている間に、同日午後二時過ぎ頃当時運転免許を有していなかつたが(この点は当事者間に争がない)、かねてから加害自動車で運転を練習したことのある田畑上福が、野田運転手に無断で運転席につき、前記沖實蔵を助手席に同乗させたまま、加害自動車を発進させた。本件事故現場付近の船蔵農道は、幅員約四米一五糎の舗装されていない道路であつて、道路中央に甘蔗集荷のトラツクの通行によつて生じた二条の轍の跡があり、かなりの凹凸があつた。田畑は右農道を加害自動車(幅二米四七糎)を時速五、六粁位の速度で運転し、ゆつくりと西方に向かつた。一方原告は当日前記船蔵農道の南側に面する甘蔗畑で甘蔗の刈取作業に従事していたのであるが、加害自動車が前記のとおりカーブ付近に停車中、右自動車の付近で前記沖實蔵と甘蔗の積込について交渉したところ、加害自動車に積み込むことはできないとのことであつた。そこで原告も已むなく本件事故現場付近に戻り、船蔵農道南端の甘蔗畑との境界に立つて、道路に背を向け南側甘蔗畑にいた南喜見池と立話をしていた。加害自動車が停車していた前記カーブから本件事故現場まではほぼ直線であつて見通しもよく、田畑は少くとも事故現場から、一五、六米位手前で、原告が進行方向に向かつて左側の道路端に佇立し、前記のとおり道路に背を向けているのに気づいたのであるが、そのまま進行しても危険はないものと考えて、警音器を吹鳴するとかあるいは徐行ないし一時停車して危険の有無を確かめる等別段の措置をとることなく、そのまま運転進行した。ところが原告の佇立している個所を通過する際、加害自動車が原告側に寄りすぎ、その間隔が一五、六糎位しかなかつたところへ、車輌が道路のくぼみに落ちて車体が揺れたため、加害自動車の荷台付近が後向きとなつていた原告の左後頭部から左肩部にかけて当り、原告は道路南側の甘蔗畑に転倒し、受傷するに至つた。以上のとおりの事実を認めることができる。前記中第九号証の記載並びに証人野田和義、同田畑上福、同沖實蔵の各証言中には、田畑が本件事故現場にさしかかる際警音器を吹鳴したとの趣旨の部分があるけれども、右認定に供した各証拠と対比するときは、未だ採用することはできず、他にそのような事実を確認するに足りる証拠は存在しない。

右認定の事実によれば、加害自動車を運転していた田畑上福は運転免許を有していなかつたものであつて、事故現場にさしかかつた際も、原告が道路端に背を向けて佇立しているのを認識しながら、危険を避けるための別段の措置を講ずることもなく、凹凸の多い農道を横揺れによつて車体が原告に接触するほどの至近距離にまで接近して通過しようとしたものであつて、同人にはこの点につき明らかに過失があつたというべきである。被告は事故現場の農道には前記認定のとおり中央に二条の轍跡があり、右農道を走行する自動車はみな右轍跡の上を走行していたのであるから、歩行者の側で自ら注意して自動車を避けなければならない旨主張する。しかし事故現場付近の道路の状況が右のとおりであるからといつて、運転者が運転に際し歩行者に危害を及ぼさないよう注意すべき義務が免除ないし軽減されるいわれはなく、右轍跡の上を進行する場合においても、歩行者に危害の及ぶ虞があるときは、これを回避するための措置を講ずべき義務があることは当然である。そうして前記認定にかかる事実関係のもとにおいては、田畑に過失があると解するのが相当であつて、被告の主張はその理由がない。また証人野田和義、同田畑上福、同沖實蔵の各証言中には、本件事故現場の反対側(北側)の道路端に樹木の枝が出ており、また道路工事用の石が置いてあつたので、道路幅が狭くなつていたとの趣旨の部分がある。しかし右各証言を証人佐藤一和、同熊谷幸雄の各証言及び原告本人訊問の結果と対比するときは、未だそのような事実を認めるに十分でないのみならず、仮りにそのような事実があつたとしても、だからといつて前記認定の事実関係のもとにおいて田畑に過失がなかつたと解することができないのは明白である。

一方原告としては、前記認定のとおり道路端に佇立して、南側甘蔗畑にいた南喜見池と立話をしていたのであつて、道路幅員は四米余、加害自動車の幅は二米四七糎であつたのであるから、加害自動車がなんらの措置をとることなく、突然前記のような至近距離を通過することを予期しなかつたとしても、あながち無理とはいえない。そうしてこの場合原告の方で十分加害自動車に注意を払い、危険を察知して農道から甘蔗畑に下りて難を避ける等の措置を講じなかつたからといつて、原告の側に過失ありと解することはできない。

以上認定のとおり本件事故は加害自動車を運転していた田畑上福の過失により惹起されたものであつて、原告には過失があつたものとは解せられないから、被告の抗弁はその他の争点につき判断するまでもなくその理由のないことが明らかであり、採用することはできない。甲第四号証及び同第九号証の各記載並びに証人野田和義、同田畑上福、同沖實蔵の各証言中前記各認定に反する部分は採用せず、他にこの認定を左右するような証拠は存在しない。

四、損害額

そこで次に原告が本件事故によつて蒙つた損害額について判断する。

(い)  治療費用

〔証拠略〕を総合すれば、原告は本件事故により左肩及び右下腿打撲傷、脳震盪、頭部外傷等の傷害を負い、右傷害及びその後遺症の治療のため、次のとおりの費用を要した事実を認めることができる。

(a)  治療費 金五万八、四〇二円

昭和三九年一月二四日から同四一年一二月三日までの間、与論町国民健康保険診療所において治療を受けた治療費金二万六、七二〇円、昭和三九年四月一四日から同年七月二〇日まで慶応義塾大学病院において治療を受けた治療費金八、七一四円、昭和三九年五月六日から同年七月一九日までマツサージ、指圧、療法等を受けた施術料金二万円、同年九月一八日から翌四〇年一月三一日までの間二回にわたり、鹿児島市島本医院において治療を受けた治療費合計金一、六三三円、昭和四一年一〇月一〇日から同月一五日までの間、岸和田市杉本外科医院において治療を受けた治療費金一、三三五円の合計額。以上は本件事故による傷害及びその後遺症の治療に必要な費用であつたもので、従つて本件事故と相当因果関係にある損害と認められる。

(b)  慶応義塾大学病院における治療のために要した費用金八万四、五七〇円

原告の長男竹井正男が原告の上京に付添うため帰郷した際、その費用として原告が支出した東京、鹿児島間の航空運賃金一万四、一〇〇円及び鹿児島、与論町茶花間の二等船賃金二、五三〇円、原告及び右長男の上京のための与論町茶花、鹿児島間の二等船賃金五、〇六〇円、鹿児島、東京間の国鉄二等運賃金四、九〇〇円、及び原告帰郷のための東京、鹿児島間の国鉄二等運賃金二、四五〇円、鹿児島、与論町茶花間の二等船賃金二、五三〇円、昭和三九年四月一〇日から同年七月二〇日までの原告の東京における下宿料及び権利金合計金五万三、〇〇〇円の合計額。原告の当時の病状、遠距離の旅行であること等に徴すれば、原告長男の出迎及び付添は必要であつたものと認められるし、東京における下宿料も遠隔の地で通院治療を受ける以上、已むを得ない費用というべきであつて、その他の交通費とともに本件事故と相当因果関係にある損害というべきである。

(c)  鹿児島市島本医院における治療のために要した費用金一万〇、一二〇円

昭和三九年九月及び翌四〇年一月の二回にわたり、与論町茶花、鹿児島間を往復した二等船賃合計金一万〇、一二〇円。(古里、茶花間の往復タクシー代合計金一、四〇〇円については、これを認めるべき証拠がない。)

(d)  岸和田市杉本外科医院における治療のために要した費用 金八、六八〇円

与論町茶花、鹿児島間の二等往復船賃金五、〇六〇円、鹿児島、岸和田間の往復国鉄二等運賃金三、六二〇円の合計額。(古里、茶花間の往復タクシー料金七〇〇円については、これを認めるべき証拠は存在しない。)

以上合計金一六万一、七七二円が、原告において本件事故による傷害及びその後遺症の治療のために要した費用であり、右は本件事故と相当因果関係にある損害と認められること前記のとおりである。右認定の限度を超える原告主張の費用については、これを認めるべき証拠は存在しない。なお被告は原告の本件事故前の井戸掘作業中における受傷が、原告の現在の身体障害にも影響を与えており、そのため余分な治療費の支出を余儀なくされている旨主張するけれども、これを認めるに足りる証拠なく、かえつて〔証拠略〕によれば、そのような事実はないことが認められるから、被告の右主張は採用に値しない。

(ろ)  得べかりし利益の喪失

〔証拠略〕を総合すれば、次の事実を認めることができる。原告は大正三年三月一〇日生れの本件事故当時満四九才の男子であつて、田二反五畝、畑一町二反位、宅地六〇坪位等の資産があり、牛一頭を飼育して、農業(主として甘蔗栽培)に従事し、その他豚の飼育、寝具、シヤツ類等の行商等にも従事していた。原告が生産し与論町農業協同組合において集荷売却した甘蔗の数量及び販売価額は、昭和三八年度において一四屯七〇〇、金九万〇、七〇一円、同三九年度において一七屯七〇〇、金一一万五、〇〇三円、同四〇年度において三一屯四〇〇、金一九万二、〇〇六円、同四一年度において三七屯三〇〇、金二二万九、三七八円であつた。そうして一方経費としては、その当時屯当り金五〇〇円ないし七〇〇円程度の肥料代を要するのが一般であつた。以上のほか田や野菜等の栽培による収入を考慮すれば、原告は本件事故当時農業収入として月平均金一万円程度の収入があつたものと認めるのを相当とする。また豚の飼育については、繁殖した子豚を二、三頭売り、その他五、六頭を肉豚として飼育し、年間約金六万円程度の収入を得ていたものと認められる。次に寝具、下着類の行商については、原告は月平均金三万五、〇〇〇円程度の収入があつた旨主張し、原告本人訊問の結集中にはこれに副う趣旨の部分がある。しかしながら右本人訊問の結果によれば、原告が右行商を始めたのは昭和三八年四月頃からというのであつて、本件事故発生まで八ケ月余しか経過していないのであるし、その間の仕入、売却の数量、価額等の明細も明らかでない。従つて原告において右行商を将来継続して行つたであろうと直ちに断定することはできないし、仮りに継続したとしても、原告主張のように収入が引き続きあるものと断定することはできない。従つて行商による得べかりし収入については、これを認めるに足りる証拠が存在しないことに帰する。また原告は日雇として働いた収入があると主張するけれども、これを認めるべき証拠は存在しない。なお本件事故後も原告の生産した甘蔗の数量、販売代金額が減少せず、却つて増加していることは、前記認定のとおりであるけれども、原告本人訊問の結果によれば、取獲量の増加は新品種の採用にも起因するものであり、また原告は本件事故後親戚や近隣の人達の労働に依存して甘蔗栽培をしていることが認められるから、右の者らに日当等を支払つているか否かにかかわりなく、農業収入の面で原告に損害がないとすることはできない。

以上認定のとおりで、結局原告は本件事故当時右事故がなければ月平均金一万五、〇〇〇円の得べかりし収入があつたであろうことを認めることができるが、右金額を超える得べかりし収入についてはこれを認めるに十分な証拠は存在しない。そうして前掲各証拠によれば、原告は本件事故により、次のとおりの得べかりし収入を喪失したものと認められる。

(a)  本件事故のため、事故当日の昭和三九年一月二四日から翌四〇年六月末日頃まで全く労働に従事することができず、その間の得べかりし収入金二五万八、〇〇〇円を喪失した。

(b)  昭和四〇年七月一日以降一応労働に従事するようになつたものの、昭和四一年一二月当時まで前記頭部外傷による後遺症のため、左後頭部、左項部、左肩部及び左背部疼痛、左半頭部しびれ感、頭重感等の後遺症状がありそのため豚の飼育に従事できなかつたのはもちろん、農作業でも甘蔗の葉落し、水まき、畑の見廻り、草取り等の軽作業に従事し得るのみで、事故前に比較してその労働能力は三割程度の労働能力しかなかつた。従つて原告は昭和四〇年七月一日から翌四一年一二月末日までの得べかりし収入金二七万円のうち豚の飼育により得べかりし収入金九万円及び農作業により得べかりし収入の七割金一二万六、〇〇〇円合計金二一万六、〇〇〇円を失つた。

(c)  原告が大正三年三月一〇日生れの男子であることは前述のとおりであり、厚生省統計調査部の第一〇回生命表によれば、満四九才の男子の平均余命が二三・二一年であることは、当裁判所にとり顕著な事実であるから、原告は本件事故当時少くともなお二〇年間の生存を期待することができ、そのうち少くとも昭和四六年一二月末日までの五年間は就労可能であつたと推定される。ところで右期間内において原告は、本件事故がなかつたと仮定した場合と比較して、前記後遺症状のため五割程度の労働能力しかないものと推定される。従つて原告は右期間中の得べかりし収入の五割に当る金四五万円の得べかりし利益を失つた。そうして右金額から民法所定年五分の割合による中間利息を控除すると、昭和四一年一二月末日当時における右逸失利益の現価額は、金三九万二、七九三円三三銭(厘以下切捨以下同じ)となる。

以上認定のとおり、原告は本件事故により金八六万六、七九三円三三銭の得べかりし利益を喪失したものというべきである。

(は)  慰藉料

〔証拠略〕を総合すれば、次のような事実を認めることができる。すなわち原告は本件事故による前記受傷により、事故直後は頭部、首筋、足等の疼痛、耳鳴り等のため、耐え難い苦痛に苦しめられた。その後原告は畑や飼育していた牛、豚等を他に売却処分して治療費用を捻出し、前記のとおり各地の病院で各種の治療を受けたけれども、容易に改善の徴候が見られず、前述のとおり昭和四一年一二月当時においても、頭部外傷後遺症のため、左後頭部、左肩部、左肩部及び左背部の疼痛、左半頭部しびれ感、頭重感等の症状があり、未だに軽作業にしか従事し得ない状態にある。そうしてその後やや症状軽減の徴候がないではないとはいえ、現在においても後遺症が果して完治するものか否かはつきりした見通しも立つていない。原告は前記のとおり治療費や生活費等を捻出するため、財産を処分したほか、他から多額の借財をしている。このように原告が甚大な肉体的精神的苦痛を受けているのに対し、被告会社及び田畑上福は、これに対しなんら誠意ある態度を示すことなく、事件直後田畑や運転手の前記野田和義らが一、二度手土産を持つて原告を見舞つたに過ぎなかつた。そうして原告の蒙つた損害の賠償についても、被告会社はこれを解決するため積極的な努力を払うこともなく、原告からの請求に対しては金二、三万円程度の金額で解決したいというような非常識な提案をしたにとどまり、一片の誠意すら認められないといつても過言ではない。以上のとおりの事実が認められ、他にこの認定を左右するような証拠は存在しない。

以上認定のとおり、本件事故の態様、原告の受けた傷害及びこれによる後遺症の内容、事故後今日に至るまでの経過等の諸般の事情を考慮するときは、原告が本件事故によつて蒙つた精神的損害に対する慰藉料は、金一二〇万円を以て相当と解する。

五、過失相殺の抗弁に対する判断

次に被告の過失相殺の抗弁について判断するのに、本件事故発生につき原告にも過失があつたとする被告の主張の採用できないことは、前記三において判示したとおりであるから、被告の右抗弁は採用することができない。

六、結論

以上に述べたとおりであるから、原告の本訴請求は原告より被告に対し治療費用金一六万一、七七二円、逸失利益金八六万六、七九三円三三銭及び慰藉料金一二〇万円合計金二二二万八、五六五円三三銭及びこれに対する逸失利益算定の基準日の後である昭和四二年一月一五日以降支払済に至るまで民事法所定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でその理由があるが、右限度を超える部分についてはその理由がなく、失当として棄却を免れない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本敏男 藤田耕三 久保園忍)

(別表) 治療費用明細

一金二万六、七二〇円

昭和三九年一月二四日以降昭和四一年一二月三日までの間の与論町国民健康保険診療所における治療費。(但し後記診療機関における治療期間を除く)

一金九万九、五四四円

昭和三九年四月一二日から同年七月二〇日までの慶応義塾大学病院における治療のため要した費用。

内訳

金八、七一四円 診療費

金五万三、〇〇〇円 昭和三九年四月一二日から同年七月二〇日までの東京での下宿料

金一万四、一〇〇円 原告の長男竹井正男が原告をむかえに来るため支出した東京鹿児島間の航空料金

金二、三〇〇円 鹿児島徳之島間の同右二等船賃

金一、七五〇円 徳之島与論間の同右二等船賃

金七、六〇〇円 与論鹿児島間の原告および正男の二等船賃

金五、五二〇円 鹿児島東京間の右二名の国鉄二等運賃

金二、七六〇円 原告帰省のための東京鹿児島間の国鉄二等運賃

金三、八〇〇円 同右鹿児島徳之島間の二等船賃

一金二万円

昭和三九年五月六日から同年七月一九日までのマツサージ料金

一金五、七六〇円

昭和三九年九月一八日から同年九月二六日までの鹿児島市内島本外科における治療のため要した旅費

内訳

金七〇〇円 古里茶花間の往復タクシー料金

金五、〇六〇円 与論鹿児島間の二等往復船賃

一金八、一五三円

昭和四〇年一月二八日から同月三一日までの間に前記島本病院において再診を受けた際要した費用

内訳

金一、六三三円 昭和三九年九月一八日から同年九月二六日までおよび昭和四〇年一月二八日以降同月三一日までの診療費合計

金七〇〇円 古里茶花間の往復タクシー料金

金五、八二〇円 与論鹿児島間の二等往復船賃

一金一万二、九五五円

昭和四一年一〇月一〇日から同月一五日までの岸和田市上野町杉本外科医院における治療のため要した費用

内訳

金七〇〇円 古里茶花間の往復タクシー料金

金五、八二〇円 与論鹿児島間の二等往復船賃

金五、一〇〇円 鹿児島岸和田間の国鉄二等運賃

金一、三三五円 診療費

以上合計 金一七万三、一三二円

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